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マダカスカル紀行
旅行先 : マダガスカル
 時期 : 2007.6

6月11日から19日まで、マダガスカルに出かけた。成田からマダガスカルの首都・アンタナリボ迄では、距離的には東京からニューヨーク間とほぼ同じだが、バンコックで乗り継いでから、11時間余。待合わせ時間を入れると、20時間を越える。
前評判の高いマダガスカルの下痢には、予定通り、全員がやられたが、心配したマラリア蚊に出会うことはなかった。南半球のマダガスカルは、今が乾季、日本の冬に相当する。気温は25度前後。朝は15度くらいまで冷え込んで、やや肌寒い。虫たちは冬眠中らしい。

1)マダガスカル

不思議な島である。アフリカ大陸の東南に隣接しているこの島。アフリカであってアフリカではない。インド大陸が、アフリカ大陸から分かれて東進し、ユーラシア大陸にぶつかって、エベレスト山脈を作った頃、マダカスカルは、インド大陸の後についてゆく予定であった。でも、何らかの理由で置いてきぼり。その頃の島の住人である原猿類(キツネザルなど)は、インド大陸と一緒に、インド南部に移動したものもあったが、大多数は、マダカスカルに取り残された。

この島に、人が住み始めたのは、10世紀頃らしい。最初の住人は、アウストロネシア語を話す海洋民族。マダガスカルの公用語である、マラガシ語は、インドネシア語やフィリピンのタガログ語の親戚。イースター島のラパヌイ語、ポリネシアやメラネシアの諸言語、ニュージーランドのマオリ語、ハワイ語、台湾の高砂族語、などなど。皆、同じ系統の言葉である。この東南アジア系の海洋民族に、アラブ系やインド系、アフリカの黒人系が混血して、マダガスカル人が出来上がった。アフリカで、唯一のアジア系人の国である。良く見ると水田が多い。東南アジアの特徴である、米を食べる人種らしい。

マダカスカルは日本の1.6倍の面積。人口は日本の10分の1の1200万程度。空から眺めると、砂漠化した地帯も多い。

2)ベタニアの漁村風景

島の中央高地にある首都・アンタナリボから、西海岸のモロンダバへは、飛行機で約1時間。マングローブの森の対岸にある、バオバオ・カフェに宿泊。水路に張り出した、カフェ・ホテルの食堂から、アウトリガー・カヌーに3人ずつ分乗、マングローブの森を抜けて、ベタニアの漁村に向かう。アウトリガー・カヌーとは、両脇に張り出した棒に、浮き木(リガー)をつけた丸木舟である。我々の乗ったカヌーのリガーは、片側だけだが、両側にリガーをつけたものや、中央にマストのあるものもある。マダガスカル人の祖先たちは、こんなカヌーで、インド洋を航海してきたのだろうか。インドネシアから南赤道海流に乗ると、マダガスカルの北端を回って、ちょうどこのあたりに漂着する。広い砂浜が、それを物語る。ベタニアの漁村は、その広い砂浜の先端にあった。

潮の引いた浅瀬では、女達も網を引く。バングラデシュのガンジスデルタの風景によく似ている。でも、此処で海老ではなくて、フナのような小魚。乾燥して、飼料として売るのだという。漁村の生活は、彼らの祖先達が、この浜に漂着して以来、何百年も、何も変わっていないように見える。屋根も壁も、椰子の葉で造った家。少し離れた所にある、葉っぱで囲われた、シャワールーム。此処で用をたして、上から砂をかけておく。気が向いたら、シャワールームは、ちょいと移動させればいい。排泄物は、集めると、処理施設が必要になるが、分散させて、自然に戻せば、処理施設は要らない。

3)バオバブ

今回の旅行グループは5人だけ。ご夫婦と一人参加の女性2名、それに僕。全員が68プラス・マイナス3歳である。それに日本語学校を卒業したばかりの、現地の女性。たどたどしい日本語での案内役である。総勢6人は、2台の4WDに分乗。バオバオ・カフェから、バオバオ地帯に行く。このあたりの道は、穴凹だらけ。普通乗用車では、絶対に走れない。

サン・テグジュベリの「星の王子様」で、広く日本人に知られるようになったバオバブ。彼は、バオバブの木の下から星空を眺めて、バオバブの枝の一つ一つが、根になって、星の一つ一つから、木が養分を採っている様に思った。残念ながら、夜空でのバオバブは見る機会はなかった。でも、夕陽に照らされたバオバブを見て、テグジュベリの表現も、満更ではないなと思った。

バオバブの葉の茂っている写真は、まだ見たことがない。どうしてだろう。夢がないからだろうか。一度見てみたい。でも、雨期になると、道が水没して、簡単には行けないらしい。

若葉は多量のミネラルを含み、主食につける汁として有用らしい。実はキウィイの2倍(体積では8倍)くらいの大きさ。モンキー・ブレッドの名がある。ケニアに旅行したときに、食べてみたが、繊維質の果実は、乾いたスイバの様。あまり美味しいものではない。種は油をとるのに使うという。木の皮は丈夫で、縄や布を作るのに用いられる。幹の辺りには、皮を剥ぎ取った痕の残っている木も多い。でも木質はスカスカで、木材としては役に立たない。
若木の頃のバオバブは、スレンダー。一般の木と区別がつかない。でも、年をとると、どっしりと根を張って、広い範囲の水を吸い取り胴体に溜め込む。若い頃にスレンダーだった人間が、お腹に脂肪を溜め込んで、太るのと同じである。バオバブも元気なうちは、水をどんどん吸い上げて、太い木に成長する。しかし、根の吸収力が弱まると、胴の中に空洞が出来る。これが、木の命取りになる。人間のメタボリック症候群とよく似ている。バオバブには年輪がない。だから、500年以上生きると推定されるが、本当のところはわからない。

マダガスカルを旅して、目に付いたのが瘤牛。インドが原産地らしいが、アフリカや東南アジアでも、見たことはある。でも、マダガスカルほど多くはない。瘤は脂肪の塊。ブラジルで食べてみたが、缶詰のコーンビーフにそっくり。

4)ベレンティへの道

西海岸のモロンダバで2泊して、バオバブを十分に堪能したあと、東南端にある、ベレンティに向かう。飛行機でフォール・ドーハンまで、約3時間。途中チュレアーレを経由する飛行機なので時間がかかる。ベレンティへは、そこから4輪駆動車でさらに4時間、一日がかりの移動である。

何しろ道がひどい。国道でなくて、酷道である。昔は舗装をされた道路であった。しかし、雨期に、道路の下の砂が流出して、アスファルト舗装が路肩から崩れたり、中央で陥没する。どうも所々に手抜き工事があって、道路の土台石が入れてないところもある。普通乗用車が走れる道ではない。日本なら、すぐに補修をするのだろうが、この国では、4輪駆動車が一般的になった。穴ぼこを避けながらの運転は、神業に近い。

途中、面白い木を見つけた。枝のない木である。最初はサボテンかと思ったが、れっきとした木。家を作る材料になったり、薪にもなる。40−50センチに切り取って、挿し木をすれば、簡単に根付くのに、そんな習慣はなかったらしい。山は丸坊主。そこに入り込んだのが日本のボランティアたち。長年の努力が稔って、今では豊かな緑の村になった。村の小学校では、先生が一生懸命、日本語を話してくれた。素晴らしい、成果だと思う。古希のプロジェクトとして、ゴビ砂漠に木を植える運動に参加を検討している僕としては、大いに参考になる活動である。

5)ベレンティの森の住人達。

ベレンティの森は、マダガスカルの原住民である原猿類の森である。でも、原生林ではない。ほぼ70年前に、サイザル麻の事業で成功した、ヨーロッパの富豪が、畑を森に戻したのだという。広い森の周りは、何処までも続くサイザル麻の畑。原猿類達の天敵は、トンビだけ。原猿類たちの楽園である。原猿類とは、猿や人類の祖先の進化から取り残された存在。メガネザル、ツバイ、ロリス、キツネザル、インドリ、アイアイの6系統があるが、後半の3系統はマダガスカルにしかいない。なかなか神経質な動物で、動物園では、鬱病になるので、飼えないという。

ベレンティの森は自然の中の動物保護区。キツネザル達は、いくつかの部族に分かれて生活している。部族は雌猿に率いられた、一妻多夫の共同体。雌猿が発情すると、尻尾の辺りから匂いを出す。それを沢山の雄が追いかけて、交尾する。でも、強い雄が必ず成功するとは限らない。強い雄達が順位争いをしている隙に、弱い雄がさっと交尾することもあるという。

子供が生れそうになると、共同体のメンバーがその周りを囲む。そして、生れた赤ちゃんを、皆でなめて、綺麗にするのだという。赤ちゃんは15分くらいで、母親の背中に、掴まれるようになるとか。寝るときには、共同体のメンバーが一緒になって、前のサルの肩に両手をかけて、列を作る。赤ん坊はその間に挟む。象たちの行進と同じ様な列の組み方である。

もう一種類の、この森の住人は、テレビで紹介されて、日本でも人気のあるシファカ。これは原猿類の中のインドリ系。キツネザル系と違って、一夫一婦らしい。群れも作らない。キツネザルとは、食べる木の種類が違うので、キツネザルとの縄張り争いはない。

キツネザルは、共同体の間で、結構激しい縄張り争いをするし、人間を恐れない。
シファカは、キツネザルよりだいぶ大きいが、臆病で、キツネザルや人間を恐れている風情。道を渡るときにも、人間を警戒して、あわててわたる。

6)サイザル麻

サイザル麻を、ご存知の方は、少ないかもしれない。僕はマダガスカルに旅して、初めて知った。龍舌蘭や、ユッカの同類である。メキシコではテキーラの材料になるといったら、ハハーンと頷かれるかも知れない。ベレンティの森の周りは、何処までも続くサイザル麻の畑。この葉を集荷して、繊維だけを取り出して、麻にする。一級品は、ヨーロッパに輸出して、麻製品に加工される。二級品は、中国に輸出して、穀物用の麻袋になる。屑は、自動車の座席の詰め物になる。サイザル麻は、最高級品でも、1トン3万円位とか。人件費の安い、マダガスカルだからこそ、成立するビジネスである。

工場では、かなりの量の廃棄物が出るが、川床に流して干し、火をつけて、その灰を、肥料にしている。発酵させれば、アルコールが取れるのに、もったいない。でもこの工場があるおかげで、ベレンティの森の原猿類たちが、幸せに暮らせる。

7)ペリネ&バコナ保護区

原猿類の楽園、ベレンティ保護区で2泊した後、首都のアンタナポリに帰って、ヒルトン・ホテル泊。久しぶりのバスタブにほっとする。お決まりの市内観光は特筆すべきものはない。民族ショウは、踊りとは言いがたい。レミューパークは、ベレンティを見た後では、失望に近い。翌日は、アンナタポリから日帰りで、近郊のペリネとバゴナ保護区に出かける。片道3時間だが、道は悪くないので助かる。

ペリネでは、原始林の中に入って、インドリを探した。何匹か見たのだが、写真に撮るほど、近くには寄れない。

霧雨の降りだしたバコナ保護区は、襟巻きキツネザルがお出迎え。少人数だったせいもあって、黄金色のシファカ君もでてきてくれた。両方ともおとなしいらしく、褐色キツネザルの群れが出てきたら、後ろの方に退いて、じっと我々を見ていた。

褐色キツネザルは、どうやら、よそからの流れ者らしい。マダガスカル本来の住人ではなく、人間が連れてきたという説もある。ワオキツネザルやシファカに比べると、積極的で、気性も激しい。木の葉から水分をとる、本来の住人に対して、彼らは水を飲む。ベレンティの水場で見た褐色キツネザルは、水を飲む順番まで決まった序列があるらしい。僕達の見ている前で、順番争いがあった。この旅行記の表紙にしたのが、バコナ保護区でのシーン。バナナを持って立っていると、手に飛び移ってくる。一匹が来ると、次々に僕の肩にやってきた。

バコナ保護区の後は、カメレオンパークに立ち寄って、アンタナポリに帰った。楽しかったマダガスカルの旅が終わった。
旅行写真
屋根材を売る女性
屋根材を売る女性

No.1
道を渡る
道を渡る

No.2
道を渡る
道を渡る

No.3
虫のようなプロペラ機...
虫のようなプロペラ機...

No.4
屋根材を売る女性
屋根材を売る女性

No.5
アウト・りガー・カヌ...
アウト・りガー・カヌ...

No.6
漁村風景
漁村風景

No.7
夕日のバオバブ
夕日のバオバブ

No.8
睡蓮とバオバブ
睡蓮とバオバブ

No.9
野中の一軒家
野中の一軒家

No.10
倒木と少女
倒木と少女

No.11
コブ牛
コブ牛

No.12
枝のない木
枝のない木

No.13
枝のない木2
枝のない木2

No.14
ベレンティ・ロッジ
ベレンティ・ロッジ

No.15
朝食の時間
朝食の時間

No.16
日向ぼっこ
日向ぼっこ

No.17
道を渡る
道を渡る

No.18
渡り終えて
渡り終えて

No.19
ジャンプ
ジャンプ

No.20
サイザル麻の畑
サイザル麻の畑

No.21
サイザル麻を干す
サイザル麻を干す

No.22
襟巻キツネザル
襟巻キツネザル

No.23
黄金色シファカ
黄金色シファカ

No.24
ブラウンキツネザルと...
ブラウンキツネザルと...

No.25