マダカスカル紀行 |
|
||||
6月11日から19日まで、マダガスカルに出かけた。成田からマダガスカルの首都・アンタナリボ迄では、距離的には東京からニューヨーク間とほぼ同じだが、バンコックで乗り継いでから、11時間余。待合わせ時間を入れると、20時間を越える。 前評判の高いマダガスカルの下痢には、予定通り、全員がやられたが、心配したマラリア蚊に出会うことはなかった。南半球のマダガスカルは、今が乾季、日本の冬に相当する。気温は25度前後。朝は15度くらいまで冷え込んで、やや肌寒い。虫たちは冬眠中らしい。 1)マダガスカル 不思議な島である。アフリカ大陸の東南に隣接しているこの島。アフリカであってアフリカではない。インド大陸が、アフリカ大陸から分かれて東進し、ユーラシア大陸にぶつかって、エベレスト山脈を作った頃、マダカスカルは、インド大陸の後についてゆく予定であった。でも、何らかの理由で置いてきぼり。その頃の島の住人である原猿類(キツネザルなど)は、インド大陸と一緒に、インド南部に移動したものもあったが、大多数は、マダカスカルに取り残された。 この島に、人が住み始めたのは、10世紀頃らしい。最初の住人は、アウストロネシア語を話す海洋民族。マダガスカルの公用語である、マラガシ語は、インドネシア語やフィリピンのタガログ語の親戚。イースター島のラパヌイ語、ポリネシアやメラネシアの諸言語、ニュージーランドのマオリ語、ハワイ語、台湾の高砂族語、などなど。皆、同じ系統の言葉である。この東南アジア系の海洋民族に、アラブ系やインド系、アフリカの黒人系が混血して、マダガスカル人が出来上がった。アフリカで、唯一のアジア系人の国である。良く見ると水田が多い。東南アジアの特徴である、米を食べる人種らしい。 マダカスカルは日本の1.6倍の面積。人口は日本の10分の1の1200万程度。空から眺めると、砂漠化した地帯も多い。 2)ベタニアの漁村風景 島の中央高地にある首都・アンタナリボから、西海岸のモロンダバへは、飛行機で約1時間。マングローブの森の対岸にある、バオバオ・カフェに宿泊。水路に張り出した、カフェ・ホテルの食堂から、アウトリガー・カヌーに3人ずつ分乗、マングローブの森を抜けて、ベタニアの漁村に向かう。アウトリガー・カヌーとは、両脇に張り出した棒に、浮き木(リガー)をつけた丸木舟である。我々の乗ったカヌーのリガーは、片側だけだが、両側にリガーをつけたものや、中央にマストのあるものもある。マダガスカル人の祖先たちは、こんなカヌーで、インド洋を航海してきたのだろうか。インドネシアから南赤道海流に乗ると、マダガスカルの北端を回って、ちょうどこのあたりに漂着する。広い砂浜が、それを物語る。ベタニアの漁村は、その広い砂浜の先端にあった。 潮の引いた浅瀬では、女達も網を引く。バングラデシュのガンジスデルタの風景によく似ている。でも、此処で海老ではなくて、フナのような小魚。乾燥して、飼料として売るのだという。漁村の生活は、彼らの祖先達が、この浜に漂着して以来、何百年も、何も変わっていないように見える。屋根も壁も、椰子の葉で造った家。少し離れた所にある、葉っぱで囲われた、シャワールーム。此処で用をたして、上から砂をかけておく。気が向いたら、シャワールームは、ちょいと移動させればいい。排泄物は、集めると、処理施設が必要になるが、分散させて、自然に戻せば、処理施設は要らない。 3)バオバブ 今回の旅行グループは5人だけ。ご夫婦と一人参加の女性2名、それに僕。全員が68プラス・マイナス3歳である。それに日本語学校を卒業したばかりの、現地の女性。たどたどしい日本語での案内役である。総勢6人は、2台の4WDに分乗。バオバオ・カフェから、バオバオ地帯に行く。このあたりの道は、穴凹だらけ。普通乗用車では、絶対に走れない。 サン・テグジュベリの「星の王子様」で、広く日本人に知られるようになったバオバブ。彼は、バオバブの木の下から星空を眺めて、バオバブの枝の一つ一つが、根になって、星の一つ一つから、木が養分を採っている様に思った。残念ながら、夜空でのバオバブは見る機会はなかった。でも、夕陽に照らされたバオバブを見て、テグジュベリの表現も、満更ではないなと思った。 バオバブの葉の茂っている写真は、まだ見たことがない。どうしてだろう。夢がないからだろうか。一度見てみたい。でも、雨期になると、道が水没して、簡単には行けないらしい。 若葉は多量のミネラルを含み、主食につける汁として有用らしい。実はキウィイの2倍(体積では8倍)くらいの大きさ。モンキー・ブレッドの名がある。ケニアに旅行したときに、食べてみたが、繊維質の果実は、乾いたスイバの様。あまり美味しいものではない。種は油をとるのに使うという。木の皮は丈夫で、縄や布を作るのに用いられる。幹の辺りには、皮を剥ぎ取った痕の残っている木も多い。でも木質はスカスカで、木材としては役に立たない。 若木の頃のバオバブは、スレンダー。一般の木と区別がつかない。でも、年をとると、どっしりと根を張って、広い範囲の水を吸い取り胴体に溜め込む。若い頃にスレンダーだった人間が、お腹に脂肪を溜め込んで、太るのと同じである。バオバブも元気なうちは、水をどんどん吸い上げて、太い木に成長する。しかし、根の吸収力が弱まると、胴の中に空洞が出来る。これが、木の命取りになる。人間のメタボリック症候群とよく似ている。バオバブには年輪がない。だから、500年以上生きると推定されるが、本当のところはわからない。 マダガスカルを旅して、目に付いたのが瘤牛。インドが原産地らしいが、アフリカや東南アジアでも、見たことはある。でも、マダガスカルほど多くはない。瘤は脂肪の塊。ブラジルで食べてみたが、缶詰のコーンビーフにそっくり。 4)ベレンティへの道 西海岸のモロンダバで2泊して、バオバブを十分に堪能したあと、東南端にある、ベレンティに向かう。飛行機でフォール・ドーハンまで、約3時間。途中チュレアーレを経由する飛行機なので時間がかかる。ベレンティへは、そこから4輪駆動車でさらに4時間、一日がかりの移動である。 何しろ道がひどい。国道でなくて、酷道である。昔は舗装をされた道路であった。しかし、雨期に、道路の下の砂が流出して、アスファルト舗装が路肩から崩れたり、中央で陥没する。どうも所々に手抜き工事があって、道路の土台石が入れてないところもある。普通乗用車が走れる道ではない。日本なら、すぐに補修をするのだろうが、この国では、4輪駆動車が一般的になった。穴ぼこを避けながらの運転は、神業に近い。 途中、面白い木を見つけた。枝のない木である。最初はサボテンかと思ったが、れっきとした木。家を作る材料になったり、薪にもなる。40−50センチに切り取って、挿し木をすれば、簡単に根付くのに、そんな習慣はなかったらしい。山は丸坊主。そこに入り込んだのが日本のボランティアたち。長年の努力が稔って、今では豊かな緑の村になった。村の小学校では、先生が一生懸命、日本語を話してくれた。素晴らしい、成果だと思う。古希のプロジェクトとして、ゴビ砂漠に木を植える運動に参加を検討している僕としては、大いに参考になる活動である。 5)ベレンティの森の住人達。 ベレンティの森は、マダガスカルの原住民である原猿類の森である。でも、原生林ではない。ほぼ70年前に、サイザル麻の事業で成功した、ヨーロッパの富豪が、畑を森に戻したのだという。広い森の周りは、何処までも続くサイザル麻の畑。原猿類達の天敵は、トンビだけ。原猿類たちの楽園である。原猿類とは、猿や人類の祖先の進化から取り残された存在。メガネザル、ツバイ、ロリス、キツネザル、インドリ、アイアイの6系統があるが、後半の3系統はマダガスカルにしかいない。なかなか神経質な動物で、動物園では、鬱病になるので、飼えないという。 ベレンティの森は自然の中の動物保護区。キツネザル達は、いくつかの部族に分かれて生活している。部族は雌猿に率いられた、一妻多夫の共同体。雌猿が発情すると、尻尾の辺りから匂いを出す。それを沢山の雄が追いかけて、交尾する。でも、強い雄が必ず成功するとは限らない。強い雄達が順位争いをしている隙に、弱い雄がさっと交尾することもあるという。 子供が生れそうになると、共同体のメンバーがその周りを囲む。そして、生れた赤ちゃんを、皆でなめて、綺麗にするのだという。赤ちゃんは15分くらいで、母親の背中に、掴まれるようになるとか。寝るときには、共同体のメンバーが一緒になって、前のサルの肩に両手をかけて、列を作る。赤ん坊はその間に挟む。象たちの行進と同じ様な列の組み方である。 もう一種類の、この森の住人は、テレビで紹介されて、日本でも人気のあるシファカ。これは原猿類の中のインドリ系。キツネザル系と違って、一夫一婦らしい。群れも作らない。キツネザルとは、食べる木の種類が違うので、キツネザルとの縄張り争いはない。 キツネザルは、共同体の間で、結構激しい縄張り争いをするし、人間を恐れない。 シファカは、キツネザルよりだいぶ大きいが、臆病で、キツネザルや人間を恐れている風情。道を渡るときにも、人間を警戒して、あわててわたる。 6)サイザル麻 サイザル麻を、ご存知の方は、少ないかもしれない。僕はマダガスカルに旅して、初めて知った。龍舌蘭や、ユッカの同類である。メキシコではテキーラの材料になるといったら、ハハーンと頷かれるかも知れない。ベレンティの森の周りは、何処までも続くサイザル麻の畑。この葉を集荷して、繊維だけを取り出して、麻にする。一級品は、ヨーロッパに輸出して、麻製品に加工される。二級品は、中国に輸出して、穀物用の麻袋になる。屑は、自動車の座席の詰め物になる。サイザル麻は、最高級品でも、1トン3万円位とか。人件費の安い、マダガスカルだからこそ、成立するビジネスである。 工場では、かなりの量の廃棄物が出るが、川床に流して干し、火をつけて、その灰を、肥料にしている。発酵させれば、アルコールが取れるのに、もったいない。でもこの工場があるおかげで、ベレンティの森の原猿類たちが、幸せに暮らせる。 7)ペリネ&バコナ保護区 原猿類の楽園、ベレンティ保護区で2泊した後、首都のアンタナポリに帰って、ヒルトン・ホテル泊。久しぶりのバスタブにほっとする。お決まりの市内観光は特筆すべきものはない。民族ショウは、踊りとは言いがたい。レミューパークは、ベレンティを見た後では、失望に近い。翌日は、アンナタポリから日帰りで、近郊のペリネとバゴナ保護区に出かける。片道3時間だが、道は悪くないので助かる。 ペリネでは、原始林の中に入って、インドリを探した。何匹か見たのだが、写真に撮るほど、近くには寄れない。 霧雨の降りだしたバコナ保護区は、襟巻きキツネザルがお出迎え。少人数だったせいもあって、黄金色のシファカ君もでてきてくれた。両方ともおとなしいらしく、褐色キツネザルの群れが出てきたら、後ろの方に退いて、じっと我々を見ていた。 褐色キツネザルは、どうやら、よそからの流れ者らしい。マダガスカル本来の住人ではなく、人間が連れてきたという説もある。ワオキツネザルやシファカに比べると、積極的で、気性も激しい。木の葉から水分をとる、本来の住人に対して、彼らは水を飲む。ベレンティの水場で見た褐色キツネザルは、水を飲む順番まで決まった序列があるらしい。僕達の見ている前で、順番争いがあった。この旅行記の表紙にしたのが、バコナ保護区でのシーン。バナナを持って立っていると、手に飛び移ってくる。一匹が来ると、次々に僕の肩にやってきた。 バコナ保護区の後は、カメレオンパークに立ち寄って、アンタナポリに帰った。楽しかったマダガスカルの旅が終わった。 |
旅行写真 |
屋根材を売る女性 No.1 |
道を渡る No.2 |
道を渡る No.3 |
虫のようなプロペラ機... No.4 |
屋根材を売る女性 No.5 |
アウト・りガー・カヌ... No.6 |
漁村風景 No.7 |
夕日のバオバブ No.8 |
睡蓮とバオバブ No.9 |
野中の一軒家 No.10 |
倒木と少女 No.11 |
コブ牛 No.12 |
枝のない木 No.13 |
枝のない木2 No.14 |
ベレンティ・ロッジ No.15 |
朝食の時間 No.16 |
日向ぼっこ No.17 |
道を渡る No.18 |
渡り終えて No.19 |
ジャンプ No.20 |
サイザル麻の畑 No.21 |
サイザル麻を干す No.22 |
襟巻キツネザル No.23 |
黄金色シファカ No.24 |
ブラウンキツネザルと... No.25 |