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タイトル
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君知るや南の国
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目的地 |
アフリカ・中東 > トルコ > その他の都市
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場所 |
アジスカハーン |
時期 |
1991 年 8 月 |
種類 |
景色 |
コメント |
緑があるところにはたいてい集落がある。 たわわに咲きほころんだヒマワリ畑もあった。 あちこちでガソリンを撒いて火をつけたような黒煙があちこちのぼっていたが、おそらく焼畑だろう。 まっすぐ延びるE5線はタンクローリーが多い。 先の湾岸戦争の影響で、EC加盟国にしてNATO軍にも属するトルコ政府は西欧陣営に組みし、隣国にして不仲であるシリアからの石油パイプラインが遮断されたことは新聞で知っていた。 タンクローリーがやたら多いのはそのせいだろうか? そして、タンクローリーに次いで目立つのは軍用車だ。 バスを強引に追い抜いていくトラックの幌のなかにいる兵士たちはみな坊主頭で、眼光が消えているように見受けた。トルコも徴兵制だ。 北にシリア、黒海を挟んでオスマントルコ時代以来宿敵(?)ロシア、エーゲ海を挟みギリシア、そしてキプロス問題、そしてイラクとの国境を挟んでのクルド人問題。 湾岸戦争が起きなければクルド人問題も私たちは知らないままだっただろう。 トルコはとても複雑な国情のうえに成り立っている国家である。 それにしても、おそらく同年代であろう青年兵士たちの光を拒絶するような目が痛く、罪悪感と虚しさが充満した。 変調のない景色は、やがてチュズ湖畔にさしかかり、色づけされた。 しかし、トルコ三大湖のひとつであるチュズ湖は真夏だからか、水はすくなく、沿岸は真っ白だ。 ここは塩湖である。 アンカラより車窓に釘付けだった意識も単調な風景に意識も朦朧としはじめた。 E5線は、シルクロードを元に中世に整備された歴史ある道だ。 アンカラをひたすら南下して、チュズ湖畔を進み、シルクロードの中継地のひとつであったアクサライよりE5と別れを告げ、カッパドキア地方の西の入り口であるネビシェヒルに向け、進路を西にとる。 隊商宿がそのまま博物館になっているアジスカハーンで休息をかねた見学だ。 バスの運転手のドイツ語の案内などわかるわけもなく、遺跡をでて周辺を散策してみた。 遺跡を出て裏側にまわり、すぐのところでスカーフを被った若い3人の女性に手を振られた。 イスラム教徒は写真を撮られるのを嫌うが、彼女たちは違っていた。 彼女たちは撮影に快く応じてくれ、再びにこやかに手を振り去って行った。 黒のガラベーヤではなく色鮮やかなスカーフにはお洒落なレースがほどこしてあった。 彼女たちが自由で、とてもチャーミングにみえた。 3人とも手編みの籠を抱えていた。畑で収穫にでも出かけていたのだろうか。 あたりは牧草をはむ牛や羊、放し飼いのにわとりも歩き回っていた。 そこを、老婆に手を引かれて歩く幼女が横切って行く。 この風景にペンギン・カフェ・オーケストラの「ローザソリス」という曲が重なった。 のどかなこの村で、ゲーテのある一節を思い起こした。 ――君よ知るや、南の国。 かの国はレモンがたわわに実り―――。 ネビシェヒルが近づきはじめたバスでレモンの香り豊かなコロンが客にふるまわれた。 トルコの長距離バスではこのコロンのサービスが当たり前らしい。コロンヤという。 乾燥した肌につけると、不思議と長時間の移動の疲れがとれるらしい。 化粧瓶から腕に数滴振りかけると、なるほどレモンの強い香りが漂った。 車窓からは、空の青さにあいかわらずたなびくように白い雲が浮かんでいる。 ――おーい、雲よ、どこへ行くんだい?―― やがて私たちは胎内へ帰るときがくるが、この風景は確実に残る――。
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