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ユルギュップの夜に 月 披露宴
ユルギュップの夜に 月 披露宴

タイトル  ユルギュップの夜に 月 披露宴
目的地 アフリカ・中東 > トルコ > カッパドキア
場所 ユルギュップ
時期 1991 年 8 月
種類 景色
コメント 今夜も月だった。
イスタンブールでは三日月だったが、ユルギュップの町ではずいぶん丸みを帯びてきた。
 ホテルのプールサイドでは結婚式の真っ最中だった。
私は例によって―ブドウに魔法をかけた水―をたらふく飲みすぎて、ほろ酔い気分で夜風にあたるのをかねて、祝宴の輪から少し離れた席でその様子を眺めていた。
夕食を相席したおじさんは、酔いも手伝いわけのわからないことを叫びながら堂々と輪の中へ飛び込んでいってしまった。
私は苦虫をつぶしながらただ眺めていた。
 町の郊外の丘の中腹に建つこのホテルは近代的で、観光客用に整備されている。
ここで結婚式をあげる彼彼女たちは、中産階級より高い層だろう。
つつがなく進行していた結婚式は、同胞の飛び入りで一事中断された格好だ。
 トルコのホテルはフランスと同じく「OTEL」と標記されていることを目ざとくみつけ、
「ホテルなのに、な〜んでH(エッチ)がないんでしょうかねぇ〜」
と日本の女性たちにニタニタわけありげに尋ねまわっていたのがこのおじさんだ。
旅の恥はかき捨て、の行為に心が痛む。
痛まないの、おじさん?
進行役の男は機転が利くようで、マイクを持つ手をわなわなと振るわせるわけでもなく、
「みなさん、今晩は実にめでたい。ヤバン(日本)から素敵な客人が駆けつけて来てくれました」
そんな感じでスピーチしていた。
唯一聞き取れた「ヤバン」は「野蛮」かと、少しドキリとさせられたけど。
それにつけても、司会の男はどこかで見たことがあると思いを巡らしてみて、ようやく思いだした。
それは、最近とみにテレビでお見かけする機会が多くなった、トルコ隣国の英雄にして大問題児、ひとによっては悪魔とも罵られるフセイン大統領、そのひとの顔であった。
司会男は日本の問題児(ただのおじさん)を適当に笑みをもってあしらいながら、宴の進行に戻り、哀れな酔っ払いの行き場はなくなった。
「あー、そうだ」と膝を打つように自分に言い聞かせてホテルへ消えて行った。
再び、プールサイドの小宴は何事もなかったかのように進んでいった。
先ほどから、フセイン氏がペラペラとなにごとか喋っては、拍手喝采という繰り返しがしばらくつづいた。主役のご両人は笑みをたやすことなく立ちっぱなしで聞き入っていた。
新郎がこれまたフセイン氏そっくりで、トルコじゅうのひとがフセイン氏似なのか、フセイン氏がトルコのひとびとと似ているのか、こんがらがってきた。
新郎は真っ白なタキシードで、目も口も大きな新婦はピンクのあでやかなドレス。
見ているほうが、恥ずかしくなってくる。
「あっ!」そのとき、思わず声がでた。
よせばいいのに、おじさんが戻ってきたのだ。
「これこれ、これを渡したかったんだ」何か手にかざして、まっしぐらに新郎新婦のもとへ駆けて行った。
司会のおじさんは、これ以上のないクシャクシャにした笑顔でマイクを握った。
私には言葉がわからないが、「意味」ははっきりわかった。
「みなさん、日本の親愛なる友人からただいま素敵なプレゼントをいただきました。この友人にアラーのご加護を」
おじさんが手渡したのは、浮世絵が描かれた扇子だった。
たった今の今までただの酔っ払いだったおじさんのほうが、斜交いに見守っていた私より、数段やさしい慈愛に満ち、洒落ていたのだ。
おじさんは自己の責任を果たしたという満足感で一杯のようで、今度は本当に両手を振り去っていった。
 おじさんは千葉で造園業と花屋を営んでいる。
帰国後、この祝宴の思い出いっぱいの写真を彼に郵送した。
何の音沙汰もなかったのだが、その年のクリスマスイブの日。
「私どもが大事に育てている薔薇です」と丁重な手紙が添えられた赤いバラの束が届けられた。
送り主は、あのおじさんだった―――。

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