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アンカラ郊外にて
アンカラ郊外にて

タイトル  アンカラ郊外にて
目的地 アフリカ・中東 > トルコ > アンカラ
場所 アンカラ郊外
時期 1991 年 8 月
種類 景色
コメント 丘からは全市街が見渡せる。アンカラはなだらかな丘がつづく。
共和国成立時に定められたこの首都の名は、アンキュラ(谷底)を語源とする。
霊廟をあとにして参道を下るとき、入り口では気づかなかった大きな2頭のライオンの石像が見守っていた。獅子ばかりではなく、アーミー服を着た衛兵が交代で24時間、この霊廟を守りつづけている。
ライオン像から参道に沿って植えられた赤いバラが印象的だった。
 バスはこの霊廟と博物館の2ケ所を見学した後、市内中心部をまわった。
アンカラは太古から集落があったらしいが、都市として成長したのはアタチュルクの政策と熱意による。
 バスは市街を抜け、私たちは一路カッパドキアへと向かった。
郊外で昼食となった。
乾いたアナトリア台地に似つかわしくない、とても緑の多い所のドライブレストランだった。
昼間から食事にはワインである。
これから向かうカッパドキア地方を中心に中部アナトリア地方はブドウの産地である。
そして、ワインの醸造でも有名な地である。
冷えた白ワインを流し込んでは、前菜のタマネギとトマトのサラダをつまんだ。
とても相性のいい組み合わせだ。トルコはトマトの味がしっかりしている。
トルコで覚えた幸せなことのひとつに、トマトの味、があげられる。
太陽と乾いた大地のわずかな雨の恵でこんなにおいしい野菜が食べられるのだ。
―バッカスの神に乾杯―といきたいところだが、ここはマホメットの教える神の国だった――。
 ワインがかなり効いた。
結局、フルボトル2本をひとりで空けたのだ。
デザートにほとんど手をつけず、レストラン周辺を少し酔い覚ましに散歩することにした。
レストランを出ると大通りにポプラ並木がつづく。
今はアスファルト道になっているが、その昔、西はイスタンブール、ローマなど地中海世界へ、東はトルキスタンを通りカイバル峠を抜け、インド、中国へ続く道であることに変わりはない。
中部アナトリアは隊商宿(キャラバン・サライ)が博物館などになって今でも多く現存する。
その昔の旅人は、目的地への旅の空の下、何度月を仰ぎみたことだおろうか。
今は日本からトルコへは近く感じるが、この道が続く天山山脈は遥か遠くに感じる。
遠くの幻影――シルクロードを意識したとたん、この道がウルムチやカシュガルの街道と重なって見えてしょうがなかった。
通りに覆い被さるポプラの緑の合間から青空が垣間見え、雲がちぎれるように流れている。
その雲は、中央アジアから安息の地を求めて旅してきた遊牧民の糧である羊に似ていた。
――おーい、雲よ、どこへ行くんだい?――

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