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下鴨神社にて
下鴨神社にて

タイトル  下鴨神社にて
目的地 日本・アジア > 日本 > 京都府
場所 京都
時期 2004 年 5 月
種類 景色
コメント 下鴨神社
正式には、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)といい、京都でも最も古い神社の一つ。
古代豪族賀茂氏の氏神社で、賀茂建角身命(かもたけのつぬみのみこと)と玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祭神にしている。
平安遷都後は王城の守護神としてあがめられてきた。

下鴨神社の創祀年代を特定することは出来ないが、『日本書紀』神武天皇二年(BC六五八)二月の条に、当神社御祭神、賀茂建角身命を奉斎していた一系流「葛野主殿県主部」との氏族の名がみえる。
 この氏族は、賀茂建角身命の先の代、天神玉命を祖神とする鴨氏と同じ氏族であったことで知られている。
 また、『賀茂神宮賀茂氏系図』には、賀茂建角身命の子、鴨建玉依彦命より十一代後の大伊乃伎命の孫、大二目命が鴨建角身命社を奉斎していたことが記されている。
その社が、今日の賀茂御祖神社の始源の社の一社であろうとされている。
 崇神天皇七年(BC九〇)には、社の瑞垣が造営(『鴨社造営記』)され、垂仁天皇二十七年(BC二)八月には、御神宝が奉まつられている。(『同書』)また、緩靖天皇(BC五八〇)の御世より御生神事が行われた(『旧記』)との伝承があり、欽明天皇五年(五四四)四月から賀茂祭(葵祭)(『本朝月令』『年中行事抄』)が行われていることからみて、創祀は西暦紀元をはるかに遡るものとみられている。
平安時代には、国と首都京都の守り神として、また皇室の氏神さまとして、特別の信仰を受け、式年遷宮や斎王の制度などがさだめられていた特別な神社であったことがしられている。
そして『源氏物語』や『枕草子』など王朝文学にしばしば登場いたすように、この時代の文化、宗教の中心地の一つとして栄えた。
 平安時代末期になると全国に六十余箇所もの荘園、御廚が寄進され神社を支えた。
 鎌倉時代、室町時代、そして戦乱の世になっていくにつれ、各地の荘園も連絡が次第に絶えて行くが、代わって国民の信仰が神社をささえていくようになった。
神殿守(殿司)とよばれる人々が全国をまわってご神徳を説いていくのもこのころ。
下鴨神社を舞台とする、数多くの能(謡曲)などに、そのころの様子がうかがわれる。
また国の重要な出来事には、かならずご祈願が行われた。
 江戸時代にも、国と国民の幸福を祈願する神社として、神社の運営のため幕府より領地が寄せられた。
 明治初年、全国の神社の代表として、官幣大社の首位におかれ、今日まで国と国民のための祈願を日々おこなってる。

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