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ボリビリスーイタリアの風
ボリビリスーイタリアの風

タイトル  ボリビリスーイタリアの風
目的地 アフリカ・中東 > モロッコ > その他の都市
場所 ボリビリス
時期 1992 年 7 月
種類 景色
コメント −風光るイ・タ・リ・アの地に咲く花−                                      

                        
草原では、馬や羊が牧草を食っている。                   
なだらかな丘崚は黄色がかっていた。
どこまでも続くひまわり畑である。    
ポプラの木やオリーブの木立が風にそよいでいる。              
石畳の歩道沿いには糸杉。                         
そよ風で梢がさわる音とどこかで鳴いている小鳥のさえずり。         
空はぬけるような青空。                          
童話の挿絵のような風景が目の前に広がっている。              
いつも、こういう風景の中でのんびりと暮らしてみたいものだと夢みていた。  
アンチ・アトラス山脈を越えて再び「こちら側」へ帰ってきた。        
マラケシュからハイ・アトラス山脈を越えて眼にした風景に我を疑ったが、時計を
逆周りしてエルフードからアンチ・アトラス山脈を北上して広がる風景も嘘のよう
だった。 
私はただ、通りすぎ行く人以外の何者でもないが、「こちら側」と「あちら側」の
世界の変貌にただ、ただ驚き、絶句するしかなかった。            
ボリビリスには午前中のうちに着いた。
メクネスよりツアーのバスが往復している。 
ここ、ボリビリスは、古代ローマ時代の海洋都市として栄えた街であった。   
ゲートをくぐる。                             
草むらには無造作に石がごろごろとしているが、それらの石はどこか、潮の匂いが
しみついているような香りがした。                     
石畳に淡い紫色した花が落ちていた。                    
どこからか、飛ばされてきたのだろうか?                  
その花びらはまだ新鮮で、手にするとつんとほのかな匂いが漂い、先程までの息吹
きを感じさせられた。                           
名将ハンニバルのカルタゴを滅ぼした後、紀元後300年頃には人口約3万人がこ
の属領で生活していたという。                       
今はその栄華を偲ぶことはできない。                    
遺跡の保存状態は良くないらしく、石積みが崩れかかったまま放置されている。 
崩れかかったその石がいっそう侘しさを感じさせられる。           
人は遺跡をこよなく愛する。
だが、遺跡は私たちに何も語りかけはしない。      
残されたモノが人類の軌跡の証しというのなら、私たちにそのような遺跡を残すこ
とができるのだろうか。                          
建築物がその形をとどめていないのに反して、ローマ時代に発達した特有の、モザ
イク画は比較的保存状態が良いらしく、そのまま現存されている。       
彩り鮮やかで、海洋動物が多く描かれており、どこかしか海の香りが漂ってくる。
一緒のバスでここまで来た老人夫婦が多いドイツの団体さん達は、商館跡などのモ
ザイク画の床があるごとにガイドの説明をうけ、その度歓声をあげたり、聞き入る
合間にうなずきをいれていたりしていた。                  
彼らのやりとりは規則正しく、そのお国柄がにじみでているようで、その方がよっ
ぽどおもしろく、私の関心を払った。                    
ロバにうしろ向きの跨がった人物はベルベル人の傭兵だ、という説明だけ聞き取れ
たなにかがある度、立ち止まるドイツ人たちを追い抜き、私はこの風景に溶け込む
ように先を行くことにした。                        
本当にさわやかな晴れた午前だった。                    
そのうち、これだけはしっかりと重厚な構えを残しているカラカラ帝の凱旋門に着
く。 
カラカラ帝の門からゆるやかな丘に向かってメインストリートであったのであろ
う、比較的おおきな通りになっていた。                   
カラカラ門前のメインストリートと反対側の向こうには麦畑が広がっている。  
この地に広がる風景は、どこか帰ってきたような感慨を受けていたのがようやくそ
れがどいういうことかに気付いた。                     
この風景は、今よりはるかに体力も貪るような好奇心もあった学生時代、始めての
ヨーロッパ旅行で熱狂風に吹かされた、あの陽光きらめくイタリーの地にそっくり
だった。  
というよりここは、イタリアそのものだ。                  
事実、ここはトスカーナの田園風景となんら違和感がなかった。        
そういえば、古代ローマが残していった産物の一つにブドウ栽培があげられる。 
この地方は地中海気候に属し、ブドウの栽培も本国と同じく積極的に導入され、ワ
インの産地でもある。                           
ボリビリスの先50キロにあるメクネスの郊外で昼食をとったが、そこで飲んだ赤
ワインはビンテージもののキャンティやバローロ、くどいがバルバレスコにも遜色
なかった。 
ロゼワインも口当たりよく美味であった。                  
菜の花のような花を見やりながら歩くと、そこはもう出口になっていた。    
 出口は入口と同じゲートだった。                     
ドイツ人の団体はまだまだ遺跡見物にご熱心のようだ。ゆっくりと待つことにしよ
う。  
ときおり吹く一陣の風がやさしく包んでくれる。               
何処かへ飛び立っていったのか、小鳥の囀りはもう聞こえなくなっていた。   
だんだんと太陽が高くなるにつれ、糸杉の影が短くなっていく。        
正午すぎにはメクネスに着く予定だ。                    
そこからラバトを経由して、いよいよ旅の終着駅に近づいていくのだった。   
なごむ地で旅の句読点を探し出した気分だ。                 
ふと、空を見上げたとき、紫の花が木にからまった蔦に咲いているのが眼に入っ
た。  
来るときは気付かなかったが、入場するとき拾った花びらと同じだった。    
朝顔にそっくりの花だった。                        
背伸びして一枚花を手にして嗅いでみたが、先程と違いなんの香りもしなかった。  
一瞬のまぼろしをみているようだった。                   
後で、その花の名は「ボリビリス」だということを知った。           

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