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タイトル
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ジャンボ マサイのみなさんと
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目的地 |
アフリカ・中東 > ケニア > マサイマラ
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場所 |
マサイマラ |
時期 |
1998 年 9 月 |
種類 |
景色 |
コメント |
買い物を無視した私にずっとつきまとう担当者(?)の若いマサイの衆に、ある頼みごとをした。 私はケニアの旅を夢みたころから思い描いていた。 ――マサイ族の子どもたちに囲まれて一緒に笑顔で「ジャンボー」と叫んでいる写真と撮ってもらう― 「またわざとらしい写真。自然でええやん(笑)」とまたMに笑われそうだ。 いや、実際笑われた。 「キリマンジャロの頂の雪が夕日に染まってほのかに赤くなる。正面に一頭のゾウがいて仁王立ち。 その後をフラミンゴの大群が羽ばたいていく、そんな写真撮りたいねん」 「サバンナの地平線に焼け付くような大きな太陽が沈んでいく、その太陽を二つに割るようにキリンのシルエットが浮かぶ、そんな写真撮りたいねん」 しかし、江戸の仇は長崎で、である。 キリマンジャロの仇はマサイ・マラで、である。 「ねぇ、マサイさん。村中の子どもたちをここに集めてくれないかな〜?写真を撮りたいんだけど」 「ああ、写真ね。わかった。ちょっと待ってて」 若い衆は、わずかな軒がある日陰で座り込んで微動だに動かない長老らしき老人にお伺いを立てている様子。 長老は、しばしの時間若い衆の説明を聞き入ったあと、やおらのっそり立ち上がり、私にかすかな微笑みを浮かべた。 年老いたわりに、背が高く背筋もまっすぐな長老は、「あとはお前にまかせた」、というようなそぶりを若い衆にして、また座り込んでもとの「石」に戻った(笑)。 どおやら、交渉は成立したようだ。 というより若い衆よ、子どもを集めてくれたらいいだけじゃん! なんとももどかしいのは、なぜか、このオプションにパトリックは同行せず、マサイ見学をしないネコちゃんたち1号車に乗ったままマサイ・マラのロッジへ直行していた。 余談になるが、ダチョウのオプションはネコたち1号車4人参加、マサイ族のオプションは私たち4人 が参加。偶然だろうか? 若い衆は何軒かの家に呼びかけ、赤ちゃんからほんとうは学校へ行っていてもいいくらいの年齢まで幅広い層の子どもたちが広場に集った。その数ざっと30人。 もう一声、欲しいところだが、広場をところ狭しと駆け回り、てんで若い衆の言うことを聞かないヤンチャ坊主も数人いるので、「記念撮影」からは除外することにした。 どこの世界にもいるのである。 記念撮影がまた大変である。 小さな子どもたちはカメラを見据えず、私のほうばかり見る。 「ほらほら、お兄さんのほう向いて」 カメラを構える若い衆へ指さすと、子どもたちは私を指さす(笑)。 そのうち、姉の背中におんぶされていた乳児が泣き出す始末で、なんとか若い衆に何枚かのシャッターを切らせた。 が、若い衆はカメラレンズに蓋をしたままの状態だった。 ―やれやれ・・・・・また一からやり直しだ― なんとか無事に「記念撮影会」は終了した。 大勢の子どもに囲まれて私は満足だった。 しかし、今度は私は大勢の「大人」に囲まれる番だった。 まず、撮影終了と同時に、石だった長老が私のもとに歩みよってきた。 背の高い彼の左耳たぶには、なんとフィルムケースが埋められていた。 ―おじいさん・・・・・それって、お洒落ですか?― 世話をしてくれた若い衆の目つきも豹変していた。 「まず長老にタバコを1ケース!それから俺たち「キョウダイ」にも分配を!」 渋々、長老にポシェットから封を切っていないマイルドセブン・ライトを1箱渡した。 すると、次々と私に男たちの手がさしだされた――――。
帰国後、現像した「マサイのジャンボ記念撮影」のどの写真も妙に笑っているのは、中央におさまった私ひとりであった―――――。 |
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