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10月のバラ
10月のバラ

タイトル  10月のバラ
目的地 アフリカ・中東 > エジプト > その他の都市
場所 ギザ
時期 1993 年 10 月
種類 景色
コメント 小さな広場にでた。                            
カスバやメディナのような迷路状の村や町には何箇所かこうした広場がある。  
迷路のような造りになっているのは敵の進入を最小限に迎えるためでもあり、またこうした広場は進入者を撃墜するための場でもある。平時は市場が立ったり、住民のコミュニティの場になったりする。この広場は恰好の遊び場でもあり、夕げ前に子供たちが剥き出しの皮のままのボールを素足で蹴りあいっこしていた。    
私はホテルからここまでの道程を必死で頭の中で地図に描いていた。      
「ヘンデルとグレーテル」の心境だったのだ。                
しかし、それはむなしいことだと思い知らされる−−−−。          
この広場でモーセスは馬から降りるよう合図した。              
そして、待ちかねられないように、                     
「急ごう、友よ」と、路地に佇む村人をすり抜け、走りだした。        
「どうなるんでしょうか?」平静さを装う私の問いに妻は、無垢で力強く、   
「これは楽しみ、楽しみ。最後まで楽しいぞ」と呼応した。聞いた私がバカだった。   
馬まで用意して周到で丁重なもてなしなのか、生贄である私にはさっぱりわからなかったが、妻は素直に続き、もう慣れたものでその後を私、そして子分が後塵を拝した。
ようやく広場で、村に人がいることと、無謬の湖畔で小石を投げて、スコーンと湖水に音がしたように安堵した。
私たちのアリバイは彼らが請け負うのだ、などとまたいつもの癖で後ろ向きな想像に戯れていた。                      
しかし、すぐに不安の波が容赦なく襲ってくる。                                                    
 次々と角を曲がるモーセスの姿が消える度に−−−−。           
そして、そのうち後ろの気配がなく土埃にむせる中をゆっくり振りかえると、子分の姿がなかった。
一挙に4人と4頭から1人と4頭が消えたのだ。
−そしてだれも・・。− 
私は覚悟を決めてモーセスの背中と妻の背中をそれぞれ違う思いで見つめたまま続いた。  


暗闇と砂塵に包まれ、男の背を頼りにギザの旧市街地であるナズラット・サマーン村の一角を這いずりまわっている。                     
古めかしい住宅がひしめきあっているこの村の構造は、蟻の巣を思わせた。   
角を何度曲がったか、もう数えるのはやめてしまった。袋小路は全く人の気配がない。
もう迷路に迷い込んでいたのだ。インシャアッラー(神のみぞ知る)。     
私たちを先導するモーセスの後ろを、今朝と同じく遣る瀬無く、付いて行ってい
る。 
この夜と2度までも、心あらず彼の「案内」を受けることになったのだ。    
今朝の彼の私たちに対する言動を思うと、不安と混乱で心臓が波うつような状態だったが、ある角をまがった時、心臓音は聞こえてくる音に呼応するかのように、変調した。 


いきなり、聞き覚えのある音が耳に飛び込んできたのだ。           
漆黒の闇とそこらじゅうに充満している不安な空気から開放された珠玉の一瞬と、それから延々と続く幸福な時間と空間を取り巻く人々との共有を忘れることはなかろう。  
聞いたことのあるラッパと太鼓の音が近づいてくる。             
「最初の時とおなじだねー」                        
音楽が聞こえた始めた角を曲がり、妻はすぐに私に振り返って嬉しそうに叫んだ。
そう、彼女もすぐに気づいたのだ、あの時と同じ音楽が流れ出していること。

あの時とは、−−−−私たちが記念すべきエジプトの第一歩をへリオポリス国際空港で踏み、「サラーム・アレイッコム」と私が挨拶したことに目を丸くして驚いてみせた柔和な入国審査を手伝ってもらった現地係員からホテルへの送迎者に引き継がれ、箱バンタクシーでカイロに入り、第3次中東戦争での電撃的勝利を収めた記念として、その勝利の日である「10月6日橋」と名付けられた橋をなんと10月6日に渡り、最初の宿 にしていたナイル川の小島であるゲジラ島シェラトンでのロビー横のホールで鳴り響いていた音楽と−同じ−だったのだ−−−−−。   
あの時と同じということは、この音楽が何を意味するのかもすでに心得ていた。 
妻の言う最初の時と同じとは、そういう意味をも含んでいたのかもしれない。  
私たちが駆け足でモーセスを追う一歩、一歩、聞いたことのあるラッパと太鼓の音が手招きするように近づいてくる。しかし、まだ不安な葛藤が勝っていた。   
妻ははずみ、踊る心でもう一度角を左に曲がった。恐る恐る私も続いた。    
すると、これまでゴーストタウンのように鳴りを潜めていたナズラットサマーン村が嘘のように、というより村中の老若男女が寄り集ったかのような凄い人込みと熱気の中へ竜巻に吸い込まれるがごとくに(なんとも、大仰だけど)、飲み込まれていった。  
モーセスが私たちを手招きして人込みをかき分けて進んで行く。
過ぎ行く私たちへ投げかけられる視線はどこか安らぎとやさしさに満ち溢れている気がするのは、私のいつもの「悪い癖」で、それこそ気のせいだったのかもしれない。
「気分」の忙しい人なのだ。 
凄い人の数で狭い路地はなおさら通行困難だったが、心は酔っており苦痛ではなかった。 
数10メートル行き、今日の日のために装飾された馬車の上に乗った本日の主役のご両人とご対面と相成った。ご両人のうち一人は着せ替え人形のようなドレス姿。

そう、「あの時の音楽」とは結婚式の楽団の演奏だったのだ。ホテルのホールと同じく、思いもかけず遭遇できた披露宴をこうして再び間近にしているのだ。   
モーセスは私たちを「ダンスパーティー」、すなわち結婚披露宴に招待していたことだ と、万難を拝しようやく安堵した。
「ハリーの災難」ではなく「雨に唄えば」だ!     
モーセスは二人と二人を対面さし、私たちを何やら紹介している。       
「サラーム、アレイッコム(あなたに平和を)」と私が強張った笑顔を投げかけ
る。  
「ワアレイコムッサラーム(あなたにも平和を)」と、あのマイクタイソンをホンワカ温和にしたような顔の新郎は映画の役柄に例えると(そればっかり!)「アン
タッチャブル」のチョイ役だが、照れ笑いと消え入るような心もとない声で挨拶し返してきた。 

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